クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

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ガルセシア戦争は、1992年秋にガルス王国デウス・アッタ王国との間で起こった戦争。ガルス王国の大敗で終わり、全領土がアッタ王国に併合された。

背景

ソ連崩壊

ガルス王国は東西冷戦の中で東側諸国と連携しソ連から支援を受けていたが、1990年あたりからその支援の危うさを感じていた。政府内では密かに、危機の際の対策を練っており、その中に最終手段としてデウス・アッタ王国への電撃侵攻も含まれていた。
1991年12月にはソ連がついに完全に崩壊し、東側諸国では経済危機の予兆がみえ始める。政府はロシア、東欧に対し支援を継続するよう求めるが、無理であった。

両国対立

1975年以来続いているキセキ体制の下で両国はキセキ合意の内容を守り続けることが要求されたが、デウス・アッタ王国は数年前から保守党による独裁が敷かれており、これはキセキ合意に違反していた。ソ連崩壊以前からガルス王国はこの合意違反を訴え続けていたが無視されており、これがガルセシア戦争の開戦の口実となった。
一方でガルス王国フルトハイト事件以来ファルスルーク湾の一部を一方的に占領しており、これもキセキ合意に反するとしてデウス・アッタ王国から非難を受けていた。

進行

宣戦布告

1992年秋、ガルス王国デウス・アッタ王国に対し突如、キセキ合意の破棄を通告、3日後には正式な宣戦布告を行った。
国民に対しては年内に勝利すると宣言して大規模な戦力をうごかしたが、国力の差は明らかであった。

失敗

序盤ではサーフルールを制圧したが、デウス・アッタ王国軍はすぐにガルセシア地方に侵入、12月に国は壊滅状態に陥り、王たるアツェデレは亡命した。これはアッタ王国側からは実質的な降伏とみなされ、戦後処理計画が始まった。
93年1月にアッタ王国側はガルセシアの残存政府と講和条約を交わし、全領土の併合を認めさせたが、ガルセシアの民衆は激しく反発し、抵抗を続けた(ガルセシア反乱)。

影響

ガルセシア戦争はデウス・アッタ王国の圧勝で終わったものの、国内の混乱を招き共和革命の原因になったといわれる。
アッタ王国がガルセシアを併合したために現地の激しい抵抗を招き、彼らに同情が集まることによってアッタ王国の保守党政権への批判が高まった。
また、ガルセシアから賠償金を取れなかったため、この戦争の戦費の回収が難しくなり、これも政権批判を高めた。保守党政府は増税による戦費回収を試みたが、これがゼネストを生み共和革命が始まった。
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