クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

※ここではヴンダーシアの地方について説明しています。同名の国家についてはガルセシア君主国をご覧ください。

ガルセシア地方(がるせしあちほう、:Gaesesia-lend)は、ステリー島北部に位置するヴンダーシア北部の地域。
南にオリツォエン地方サール地方と接し、三方で海に面する。中心都市はディヤレク(Djalek)。
非常に長い間、ガルス族の多くが定住していた。ヴンダーシア共和国連邦においては北ガルス州と南ガルス州に分かれ、「ガルス国」として自治権を与えられている。


地形と気候

ガルセシア地方は大きく、北部のヴァヒェト(Vahhet)、中部のヅェレン(Dseren)、南部のツェケン(Ceken)の3つの地域に分けられる。
全域が非常に寒い気候で、南部から中部は亜寒帯(冷帯)、北部ヴァヒェトは寒帯に属している。
南部から中部にかけて広大なタイガ(針葉樹林)が広がっており、南部ではフェレヴ山脈と丘陵地が他地域との境目を塞いでいる。中部ヅェレンではヅェレン湾沿いにディヤレク盆地が広がり、中心都市ディヤレクがある。北部はツンドラを含む寒い草原が広がっている。北部では冬季には流氷や水面の凍結が見られ、しばしば港が塞がれる。
また中部から北部にかけて、海沿いの地域にはフィヨルド地形が広がる。

歴史

古くよりアツェデレ(ガルセシア大公)が最高君主として君臨していたが、一方で貴族による寡頭政治が発達した。
ヴンダーシア連邦においては全域がガルセシア君主国の領土だった。王政革命が起きると、内戦状態の解決を理由に周辺地域を併合して影響力を拡大し、デウス・アッタ王国との二大巨頭に至った。
ガルス王国と名乗りキセキ体制と呼ばれる冷戦を担ったが、しだいに衰退していった。ソ連の崩壊が引き金となってガルセシア戦争が起こると、デウス・アッタ王国に圧倒的な差で敗北しガルス王国は滅亡した。

古代

ドラッヒェン帝国がこの地を支配する以前から、広い範囲にガルス人が住んでおり、狩猟生活を行っていた。一方で今のヴァヒェト地方にあたる最北部には古代から人が住んでいた痕跡は見られず、中世前期に人が住み始めたと思われる。ドラッヒェン帝国の拡大の中でガルセシアもその支配下に入り、ドラッヒェン人から"ガルズィアス(Garszzias)"と呼ばれた。
後期には早い段階からガルス人豪族の台頭が見られ、帝国を悩ませた。ドラッヒェン朝末期に実質的な独立を果たし、存在感を強めた。

中世

ドラッヒェン帝国崩壊の後、中世初期に大ルクヴァーレン王国が再統一を目論むが、ガルス系豪族はその北進を食い止め、王国に圧力をかけた。ルクヴァーレン王国が衰退した後はキセキ王に征服され、南部のフェレヴ山脈周辺は国王の直轄領に、中部一帯はデウス家の傘下に入ったデレク公の領地になった。南部の直轄領にはフェレヴ侯が置かれた。

近世

17世紀に始まる戦乱期には、混乱の中で地域統一の動きが起こり、セキオウ朝の成立までにアツェデレを君主としたガルセシア君主国が確立された。ガルセシア君主国ではアツェデレを頂点としつつも、貴族議会による合議制が発達した。しかし統一後のガルセシアはステリー島の大半を既に制圧したクロヤ家との直接対決を恐れて自らクロヤ家の傘下に入り、自治を許された。

現代

第二次帝国戦争の後ヴンダーシア連邦が結成されると、ガルセシアもその1カ国として認められた。1960年代からは、連邦に所属しつつも他の構成国から距離を置いて独自路線を歩み始め、分離独立を志向するようになる。1974年に始まる王政革命を経て連邦が崩壊すると、アッタ王国と完全に決別しガルス王国となる。
※詳しくは"ガルス王国"を参照
1993年にアッタ王国に併合されると、再びヴンダーシアの一部となり、ヴンダーシア共和国連邦でもその内部の州として扱われている。

方言

ガルセシアには「ガルセシア方言」と呼ばれる方言が存在する。
ガルセシア方言では”ガルセシア”は、アクセントが短母音化、sが有声化して、-iaの発音も微妙に変化し”ガルゼズャ”と発音する。
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