クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

※ここではヴンダーシアの地域について説明しています。同名の都市についてはキセキ市を御覧ください。

キセキ地方(きせきちほう、:Kisekhi-lend)は、ヴンダーシアのステリー島中部位置する地域である。
南にルクヴァーレン地方砂漠ステリー地方、西にディート地方、北にオリツォエン地方、東にサール地方ドランツァイト地方と接する。海に接していない内陸地域である。キセキ州に属し、中心都市はキセキ市
中世以来、デウス家による支配が一部の時期を除き続いており、中央部には"千年王都"であるキセキ市がある。

地形と気候

地形

南には中央大山脈の北部を有しており、そこから流れる2本の川がキセキ地方中央部で湖を成し、湖から流れる2本の川がキセキ市及び下流のオリツォエン地方ディート地方に潤沢な水を供給している。片方のレセール川キセキ市南部で西に曲がり、そのままディート地方へ注いでいる。
東部と北部も山地になっており、三方を山に囲まれているため侵略が難しく、中世の首都には適している。また、ディート地方に面する西部も丘陵地が広がっている。
キセキ市など中央部はキセキ盆地になっている。

気候

気候は、全域がやや乾燥し冷涼な高原・山地気候となっている。

歴史

ドラッヒェン帝国時代に北方のオリツォ人が侵入して先住民とともに都市を築き、やがて、大山脈の南へ向けてディート地方を経由する海路、砂漠ステリー地方の北部から大山脈を迂回する陸路の2つの交易路が拓かれた。
ドラッヒェン時代末期ごろに、オリツォ人の祖先でこの地の地方官僚職を世襲していた「デウス家」が領地を譲り受け、知的で有能な領主として周りから評価された。その後デウス家は、ドラッヒェン朝が滅亡した後の混乱期には領土を拡大し、周辺領主の承認のもとに「キセキ王」を名乗った。王都は、デウス家の拠点として街が築かれていた中央部(現在のキセキ市)に定められた。
17世紀初頭にはデウス家の継承問題などから戦乱期が始まり、きっかけとなったこの地でも激しい内戦が繰り広げられた。

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