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ヨハーニア・ケレンス(よはーにあけれんす、:Johania Kelens)は、ヴンダーシアの政治家。第8代(現職)ヴンダーシア大統領であり、国民の盾の党首。
ヨハーニア・ケレンス
出生1973年9月5日
ヴンダーシア共和国連邦
第8代大統領
フィーラ
任期2019年8月-2024年8月
2024年8月-現職
国民の盾党首
期間2014年8月-

概要

2019年の大統領選に国民の盾の党首として出馬し、ライバルである国民進歩党をおさえて勝利、8代目大統領に就任した。ライフェンに続き、ヴンダーシア二人目の女性大統領となった。
任期中に新型コロナウイルスのパンデミックを経験し、一時は急激な感染拡大によっていくつかの都市がロックダウンを行った。これは経済の活性化を掲げる国民の盾の方針には反するものであったが、ケレンスは「長期的な経済発展のためには、時には短期的な忍耐も必要である」としてやむを得ず容認した。その後は国による計画的なワクチンの運用と正しい予防法の奨励を続けて、2022年には新規感染者の減少をみて規制解除を進めた。2023年以降は経済回復へ向けて積極的な経済政策を推し進め、その効果は徐々に現れてきた。
任期満了を控えた2024年には、再選を目指して再び大統領選に出馬することを表明、マスコミはヴンダーシア初の大統領再選が実現するのではないかと話題にした。実際、パンデミック後の経済政策は国民から大いに支持されており、政権支持率もそれまでに比べて高い数字を維持していた。

来歴

幼少・学生時代

1973年9月5日、ディート州?に生まれる。父は商社の幹部を務め、生活は安定していたが、ヨハニアが生まれて1年後に一家は王政革命の動乱を経験する。父は共和政を願っていたものの、ローディフ政権の寛容な政策に真っ向から反対する姿勢は取らなかった。
ヨハニアは現地の公立高校を卒業後、92年に一人でネオーンに出てネオーン大学に進学した。大学では法学を専攻する傍らで政治に強い関心を持っていた。大学1年生の間にガルセシア戦争共和革命を経験し、王政廃止を求める政治集会に参加している。96年に大学を卒業するとそのまま弁護士を目指してロースクールに進学した。2年後に卒業しネオーンで司法試験に合格するも、帰郷を望み、ディートに住居を移して現地の弁護士会に加入した。

議員時代

ディートで2年程弁護士として活動し、その期間にロースクール時代に交際を始めた恋人のレーミヒ・ケレンスと結婚し、姓を変えた。彼は機械技師を目指しており、それに影響されてヨハニアはデジタル技術に興味を持つ。
2001年の市議会議員選挙を目標に思い切って単独で政治活動を開始、無所属で立候補したにも関わらず当選し好スタートをきった。しかし2005年の任期満了に合わせた選挙では資金不足などで出馬を断念して弁護士としての活動を再開した。
当時政界では国民党が着々と存在感を増しており、ケレンスは彼らに共感している点も多かったが、外交に関する主張が"短絡的"であることを警戒していた。友人の勧めもあって国民党の開いた公聴会に出席した際に党関係者に入党を求められて国民党に入った。ちょうどその頃国民党党首ブーラス・ステンデートが大統領に就任した。ケレンスはその勢いに乗って国民党員としてディート州議会議員に立候補し、当選した。
州議会議員時代に彼女の活発な活動が党内で高く評価されて党内で役職を得た。その後、国民党がディート州与党であったため州首相に願い出て自分をディート州代表の上院議員に任命する約束を取り付け、州議会の任期満了とともに上院議員に移った。その頃に若くして党幹部に昇進し、リオ・デ・オロ戦争の際にはドレイク批判の先頭に立って"新保守"と呼ばれる党内派閥を結成してドレイク大統領の強制辞任にも深く関わった。ドレイクが辞任して副大統領ライフェンが大統領に昇格したが、党内を取り仕切っているのはケレンスを敵視するフィーラであり、ケレンスは副大統領になれる身分だったにも関わらず空いた副大統領のポストにはフィーラが就いた。

独立と大統領選

2013年にフィーラは自ら党首になることを申し出て、ケレンスら新保守はそれに強く反対したが、新保守は数においてかなり劣勢であり、彼らの抵抗は意味がなかった。フィーラが次の大統領に立候補するという所まで話が進んだが、党内で一人しか立候補できないという規定はないためケレンスは自らも立候補することを宣言した。フィーラ派は新保守と対話して候補の一本化を図ろうとしたが解決しないまま2014年の大統領選を迎え、宣言通りフィーラとケレンスの両方が出馬した。
しかしケレンスは党からの選挙資金をほとんど貰えず、またケレンス個人の支持者が多くなかったために落選した。騒動を起こした上での落選は党内多数派から大いに非難・嘲笑され、新保守は党からの脱退を決め、新たな党を結成した。ケレンスはこの新党の名前を「無責任にナショナリズムを煽る国民党とは違って国民の保護に力を尽くす」という意味で「国民の盾(sailen if gveten'et)」と名付けた。
フィーラ政権下では彼らの極端な自由放任経済政策を無責任と批判し、国民に対してはドレイク大統領の思想が残る国民党(国民進歩党)ではなく自分たちを支持するよう訴えた。フィーラ政権は公約に掲げていた憲法改正を成功させたものの、そこから1年ほど過ぎると彼の独裁的な側面が注目され始め、国進党の支持率は下がっていった。2019年の大統領選に出馬して再びフィーラと対決すると、ケレンスはかつての国民党支持者を獲得して当選した。

大統領1期目

2019年の大統領選で公約に掲げていたのは、経済独占を固めつつある財閥の力を抑えて商業の自由競争を促進すること、国全体のサイバーセキュリティを強化すること、そして軍隊の情報戦力を強化することであった。就任後すぐに取り掛かったのは国民党政権で緩められていた独占禁止法の改正と、フィーラ政権で無視されていた情報軍構想の実現であった。それらをなんとか年内に進めたが、20年1月31日には国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認され、その対応へ転換を強いられた。
一時は急激な感染拡大によっていくつかの都市がロックダウンを行った。これは経済の活性化を掲げる国民の盾の方針には反するものであったが、ケレンスは「長期的な経済発展のためには、時には短期的な忍耐も必要である」としてやむを得ず容認した。コロナウイルスへの対応には旧国民党や国進党の方針に反した行動制限や福祉拡充が必要であり、いまだに国進党が下院で多数派を占める中では困難が伴ったが、上院での法改正と大統領令を駆使するとともに、各州政府に対して具体的な対応を求めた。国による計画的なワクチンの運用と正しい予防法の奨励を続けた。21年に感染拡大がピークを越えると、パンデミックを顧みずに自由を唱えていた国進党の評価が落ちたため、ケレンスはねじれを解消して翌年の予算決定を有利に進めることを狙って同年12月に下院を解散し、年末に選挙が行われた。国民の盾は多数派を勝ち取り、22年の予算には医療機関などへの補助金が盛り込まれた。
22年には新規感染者の減少をみて規制解除を進め、補助金などによる医療機関の立て直しを図るなど政策を軌道に乗せ、ヴンダーシア情報軍も正式に発足した。

2期目

ケレンスは自身のパンデミック対応と経済再建政策が評価されていること、党の人気が上がってきていることを見て、再選を目指して2024年の大統領選にも立候補することを宣言した。ヴンダーシア大統領を2期連続で務めた人物はまだいなかったため、初の再選が実現するのではないかと注目が集まった。しかし1期目はパンデミックの対応ととその後の経済再建に時間を取られた結果、公約を完全には達成できなかった。特に財閥の抑制のために宣言した法人税引き上げが実行できなかったため、2024年の大統領選では前回に引き続き自由競争の促進を掲げた。未だに第二党である国進党のフィーラがこの選挙でも最大のライバルとなったが、ケレンスは4割超えの得票率でフィーラを破り再選を果たした。
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