クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

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セキオウ行進は、1993年6月18日にヴンダーシアのセキオウ市郊外で行われた軍隊によるデモ行進。共和革命の活動のひとつと考えられる。
朝早くから夜9時頃まで続けられ、王室私有地のすぐ近くまでたどりついて大きな衝撃を与えた。結果、自由党による交渉が進み王政廃止に至った。

背景

1993年3月、ゼルーク政権は国王フェルテを操って強引に追加予算を通して財政危機の解消を図ったが、それによって民衆の怒りは爆発し、5月にはゼネストを招いてしまう。予算が不足することをわかっていながらゼネストの鎮圧を命じられた軍部もまたしびれを切らし、出動を拒否し、ゼルーク政権の打倒を目指していた自由党に接近した。
軍部は軍事クーデターも辞さない構えであったが、無血革命を望んだ自由党は軍部総出のデモによって政権と王室両方に圧力をかけることを提案し、セキオウ行進が計画された。

内容

計画されたデモの進路は、セキオウ市郊外の広い道路を、市街地を迂回しつつ東から西へぐるっと移動するというものであった。はじめは閑静な住宅地区を通り、議会議事堂の裏を通り過ぎてそのまま王室私有地のほど近くまで到達することで、あくまで法律を犯すことなく政府と王室の両方に圧力をかけられることが期待されていた。

実施

実施日は6月18日と決まり、数日前からレイスレイフの基地で軍用車と参加人員が揃えられ、「ゼルークを捨てろ」「王政廃止」などの文言を軍用車のほろやプラカードに書いたという。
当日、朝早くに軍用車が次々と出発し、予定通りの進路をたどり始めた。人の集まる市街地は避けていたが、しだいに目撃情報が拡散して人が集まってきた。昼頃になると、兵士らは行進曲を流しながら「王政廃止」などの言葉を叫び始め、本格的なデモが始まった。マスコミや野次馬も集まり、ついには臨時ニュースで放映された。
その間に自由党は王宮に入り王室に対してゼルークの罷免などの交渉を始めていた。

結果

多くの人々が集まり、ニュースでも放映されたことにより政権側にも大きな衝撃を与えた。また、予定よりも王宮に接近して、宮殿から出られなかった国王フェルテの目にも止まり、それによってフェルテの感情が退位へと動いたといわれる。
ライネスの交渉によりフェルテはゼルークの罷免と自らの退位、王政の廃止を受け入れ、共和革命の終結に至った。

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