クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

デウス・アッタ王国(でうすあったおうこく、:Geniftum Deus-ata)は、かつてヴンダーシアに存在していた王国である。しばしばデウス・グロース王国と対比させて”西朝(Kedzisen lo^k)”とも呼ばれる。
デウス・アッタ王国
国旗
時期1660s〜1993年
体制王国
王位セキオウ王?
君主デウス・アッタ家
王都セキオウ市

領土

領土は時代によって変遷があるものの、シンコウ島南半を拠点としている。
ヴンダーシア連邦においてはシンコウ島全土とヒャッキ島アンサーデルの港が、キセキ体制においてはガルセシア地方サール地方などを除くヴンダーシアの大部分が領土となっていた。

歴史

近世

戦乱期後期、クロヤ家に招かれてシンコウ島に侵入したヴィオレティスは、クロヤ家と正式に同盟条約を結んだ。その条約の中で、新たな王位「セキオウ王?」の新設が認められ、ヴィオレティスがその王位に就くことで「デウス・アッタ王国」が成立した。ヴィオレティスが退位するとクロヤ家の力が強くなり、アッタ王国はクロヤ家の傀儡となった。しかしナポレオン戦争に伴う混乱の中でクロヤ家に反旗を翻し、内戦に勝利することでクロヤ家の爵位を没収しヒャッキ島に左遷した。

近代

19世紀後半、イギリスからデウス・グロース王国に認めさせたのと同様の不平等条約を求められたが拒否し、列強を警戒した軍備強化によりその後の報復攻撃も退けた。これがきっかけとなって、グロース王国との経済力の差が広がっていった。
20世紀に入ると領内で勝利団革命が勃発し、セキオウの乱では王都セキオウが攻撃を受け、王政が打撃を受けた。
第一次帝国戦争が起こると新帝国派とトパズィア派に分裂したが、その後女王に即位したトパズィアにより帝国派が追放され王国は再統一された。第二次帝国戦争ではトパズィア率いる王国軍はイギリス軍の力を借りて新ヴンダーシア帝国の打倒を目指し、勝利した。

戦間期

その後王国はマルメゾン条約などを通して帝国戦争及び第一次世界大戦の戦後処理を引き受けるとともに、責任回避に徹した。同時にトパズィアは強硬な国内再編によりヴンダーシア連邦を成立させ、その実質的な議長国となった。また、連邦の成立時にネオーン市を「第二首都」とし、首都機能の一部を置くとともに強力な自治権を与えた。
国家防衛隊を中心とした帝国派の残党の処理にも苦心したが、10年余りかかって解決させた。

王政革命

トパズィアの息子スイショウの治世には、リーツェル民主党による史上初の政党内閣を成立させるが、保守派と自由主義派の対立激化を抑え込むことができず、王政革命が勃発した。スイショウはクーデタで占拠された王都から逃亡して支配権を失ったが、王党派に擁立されたローディフが速やかに即位して王政は維持された。

キセキ体制

ローディフ平和党と共に、より近代的で民主主義的な立憲君主制へ移行しつつ、革命で内戦状態に陥った諸国家を次々と併合し、ヴンダーシア全体をガルセシアとともに分割することになった。ガルセシアとは一時緊張状態に陥ったがキセキ会談で講和し、ガルセシアの「ガルス王国」への体制移行を認めた。
その後1990年代まではキセキ体制のもと、ガルス王国と緩やかに対立しつつ、2国でヴンダーシアを支配した。ローディフの治世に宰相アルサイレスが王政革命の反省を活かして様々な改革を行った。
キセキ体制の中頃にはフェルテの即位に伴って彼を傀儡とした保守党による独裁政権が成立した。ソ連崩壊後の1992年にガルセシア戦争ガルス王国を滅ぼすと、翌年には彼らの独裁への反発から共和革命が発生してしまい、アッタ王国の王政は打倒されて共和国が成立した。

政治制度

トパズィア憲法

トパズィアは第二次帝国戦争の後、新たな憲法を制定して政治制度を改めた。これは共和革命まで効力を持っていた。
内閣制度
それまでは国王が任命する行政機関の長官は存在していたが、明確な内閣は存在していなかった。
この憲法で宰相が議員から行政機関の長官を任命して内閣を組織する制度が生まれ、内閣は閣議によって円滑な運営が可能になった上、まとまって連邦議会の代表となった。
議会
国民議会の力が強まった一方で、貴族院が明確な法のもとの近代的な議会に改められ、二院制が確立された。それまで貴族院は貴族どうしの推薦などをもとに王室側近らが任命していたが、この憲法で貴族と一部のブルジョワによる制限選挙に変わった。また両議院の毎年招集制度と任期制度が明記された。

歴代君主/宰相

君主宰相
名前在位名前任期
1ヴィオレティス1660s~1699年
ハイフェル?~1878年
ライヒス1878年~1905年
アゲーティス1905年~1906年
ケーティス1906年~1913年
トパズィア1914年~1967年ザムツェルト
スイショウ1967年~1974年リーツェル1967年~74年
ローディフ1975年~1984年ロクハイフ1974年11月~75年1月
アルサイレス1975年1月~
フェルテ1984年~1993年ゼルーク1984年~93年
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