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ヒラルヴァルト共和国、またはヒラル=ヴァルト共和国は、20世紀にヴンダーシア南部にあった国家。ヴンダーシア連邦の構成国でもあった。
ヒラルヴァルト共和国
時期1902年~1975年
体制共和制
国家元首長老(大統領)
首都べローマ市

領土

領土はヴンダーシア南部、ヒララ地方のほぼ全域と、イェーダ島、及びその間に位置する小さな島々である。

国名

国名は、領土内に最も多い民族である「ヒラル人」と、二番目に多い「ヴァルト人」から名付けられている。

歴史

独立

19世紀にはデウス・グロース王国の自治領となっていたが、1900年代初期に、各地で革命が起こる中でヒララ地方でも独立運動が起こった。ヒララ総督は軍を投入したが勝てず、王室に援軍を要請していたが見捨てられ、ヒラル人は実質的な独立に成功した。
その後新ヴンダーシア帝国が成立し、ヒラル人は彼らが味方してくれることを期待するが、帝国も独立承認はしようとしなかった。
やがて帝国とは完全に対立し、「ヒララの壁」を築いて武装防衛を強めた。同じく帝国に抵抗するトパズィアとは協力関係にあり、デウス・アッタ王国から大幅な支援を得た。
戦後、ヴンダーシア連邦が成立すると、共和制国家として独立が認められた。

王政革命

はじめから共和制であったため王政革命の反乱は起こらなかったが、アッタ王国の内戦に巻き込まれるのを恐れて連邦からの脱退を宣言したため、ローディフ即位後アッタ王国によるステリー平定の際に攻撃を受け降伏した。

政治制度

民主主義に基づく共和制を貫いている。議会と民選の国家元首である「長老」が政治を主導する、大統領制にごく近い制度である。

自由政策

自由政策とは、ヒラルヴァルト共和国のあらゆる民族や宗教をも受け入れるという方針を表す言葉である。
第二次帝国戦争後、極端な民族主義である新ヴンダーシア帝国を打ち破ったにも関わらず各国が完全には民族主義寄りの政治から抜け出せない中、ヒラルヴァルトは戦時中に掲げたこの方針に基づき数々の移民を受け入れた。
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