クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

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ファルスルーク湾(ふぁるするーくわん、:Laih Falsluk)は、ステリー島東部の湾である。サール地方サーフルール地方フルール地方の3地方にまたがっており、港湾として古くから数々の港が築かれてきた。

ファルスルークの港湾の様子

歴史

西洋人植民

ファルスルーク湾は17世紀から西洋人による植民が最も積極的に行われた地域であり、彼らによっていくつかの港が拡大・繁栄していった。18世紀にはクロヤ家の支配下で管理され、19世紀になりクロヤ家が退くとデウス・グロース王国によっていくつかの辺境伯が設置され、湾岸の管理と防衛は彼らが担った。
また19世紀後半には、定住した西洋人たちの存在を口実に英仏両国が港の権益を要求。デウス・グロース王国は拒否しようとしたが、内容を削減して呑まざるを得なかった。こうして本当の”植民地”時代が始まった。
英仏からの植民者たちは優遇され、特にイギリス管轄地域において深刻であった。そんなイギリス管轄地域に最も接していたサール辺境伯は、領内での民族主義の高揚もあり、武力による西洋人追放を画策し始めていた。

革命

20世紀に入ると、サール辺境伯や現地の政治団体などが蜂起しファルスルーク革命が勃発、するとフジミでは勝利団革命が発生した。勝利団新ヴンダーシア帝国を建ててもファルスルークでは革命が続いており、帝国はここでの革命支援を表明、ドランツァイト地方を超えて湾岸に侵入、サール辺境伯などとともに西洋人を追放した。サール地方サーフルール地方の諸邦は帝国に侵略されるか自らその傘下に入るかして完全に帝国の支配下になった。
帝国が第二次帝国戦争に負けて解体されると、大再編政策によってフルール公国の領土に編入された。

現代

湾岸は長引いた革命と第二次帝国戦争での攻撃によりすっかり荒廃しており、フルール公国はその再興に努めたがなかなか成果は出なかった。しかし1950年代に貿易が活発化してくるとファルスルークはフルトハイトを中心に対ヨーロッパ貿易港として徐々に再興された。
王政革命後のデウス・アッタ王国ガルス王国の対立ではファルスルーク湾の帰属が最大の領土問題となり、フルトハイト事件でガルス王国の攻撃によって占領された。

湾岸の都市

サール地方部分
  • レイケフ
サーフルール地方部分
  • フルトハイト
フルール地方部分
  • ルクスフルーア
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