クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

リオ・デ・オロ戦争とは、2011年にマグリビヤとヴンダーシアの連合軍と、西サハラのポリサリオ戦線との間に起こった戦争。ヴンダーシア軍の猛攻撃によってポリサリオ戦線はほぼ崩壊に追い込まれた。
またこの戦争に際し、カサブランカ協定が拡大して軍事条項が加えられた。
リオ・デ・オロ戦争
場所西サハラ
年月2011年8月~2012年2月
結果・ポリサリオ戦線の崩壊
・西サハラの分割
交戦勢力
ポリサリオ戦線マグリビヤ王国
ヴンダーシア共和国連邦

経緯

西サハラ地域をめぐってマグリビヤと長年対立していた武装勢力ポリサリオ戦線は、1991年に国連の仲介で停戦したものの、住民投票をめぐる交渉の決裂が原因で2005年にマグリビヤ側への攻撃を再開した。ヴンダーシアはカサブランカ協定を根拠に、マグリビヤの保護のために小規模の部隊を派遣して警戒にあたっていた。マグリビヤが2011年にヴンダーシアとの間でカサブランカ協定の拡大を協議し始めると攻撃はさらに激化した。
2011年8月、マグリビヤの実効支配地域の最南端であるゲルゲラトが突如襲撃を受けると、マグリビヤとポリサリオの間で軍事衝突が発生、ヴンダーシアは秩序のためとしてマグリビヤの軍事支援を行った。また、マグリビヤと協議されていたカサブランカ協定の拡大はこれを受けて10月に決定に至り、本格的な安全保障協定となった。
戦闘が続いていた同年12月、ヴンダーシアは雲船籍の民間船が"西サハラ系のテロ組織"からの攻撃を受けたとして、本格的な軍事行動を開始、僅かな期間で激しい攻撃が行われ、12年2月頃にポリサリオ戦線はほぼ壊滅した。

政権交代と軟化

しかしながら、戦争後半の激しい攻撃は雲民衆に支持されず、ポリサリオ戦線が実質的な壊滅まで至った2012年2月に、上下院で戦争中止が決議された。ヴンダーシアには大統領罷免の制度はなかったが、ドレイク大統領国民党内部でドレイクを降ろす動きが起こり、"党の決定として"辞職が決まり、実際にドレイク大統領自ら辞職を行った。ヴンダーシア大統領の辞職は今の所この事例のみである。
ドレイクが辞職して副大統領のライフェンが大統領に就任すると、ライフェンら雲政府は態度を軟化させ、早急な講和と西サハラの独立へ動き出した。

戦後

マグリビヤは西サハラ全域の支配を望んだが、国際世論を敵に回す可能性が高かった。一方でドレイク辞職で反戦の動きがあるヴンダーシアは西サハラ全域の独立を試みたが、結局西サハラ北部(サギア・エル・ハムラ)はマグリビヤに与え、南部(リオ・デ・オロ)を自国保護下でリオ・デ・オロ共和国として独立させることとした。
マグリビヤの勢力拡大は抑えたが、依然としてモーリタニアとの間には緊張感が残った。一方で、戦争中にヴンダーシアを非難していたアルジェリアは戦後、態度を軟化させて中立を回復すると宣言した。
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