クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

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新ヴンダーシア帝国の国家防衛隊とは、同国の宰相クロイツェスが1915年に設立した準軍事組織である。

設立の背景

ポルカサ侵略が進むと、ベリアと合わせて新帝国軍の戦線は大きく広がり、また諜報機関を通してデウス・アッタ王国が攻撃の準備をしているとの情報も届いた。クロイツェスらは兵力の不足に備えるために新たな軍事組織の設立を決めた。そこで帝国の傘下にあったクロヤ家の家臣団が組んでいた「クロヤ騎士団」を勝利団の直属に置き、それを中心として各地の一般人や予備役などから有志を募って作り上げたのが国家防衛隊である。

実質的な独立

戦争末期にはクロイツェスの手によって命令・監視を維持するのが難しくなり、実質的に独立して活動するようになった。そこで帝国政府の代わりの司令塔としたのが元々のクロヤ騎士団の指導者であったクロヤ家だった。当主の「テツェ・クロヤ(鉄黒)」は総司令官を務めた。
敗戦すると帝国政府は講和条約の中で国家防衛隊の解散を命じられ受け入れたが、彼らが政府の手を離れていたために解散させることはできず、そのまま帝国政府の解体を迎えた。

戦後の活動

帝国政府が解体された後彼らは、クロヤ家のいるヒャッキ島の山間部に潜伏し、勝利団の排外主義を受け継ぐとともにクロヤ家の再興を訴えてテロリズムを展開した。ヴンダーシア連邦政府から”帝国の残党”とみなされるとともにテロリスト組織と認定されてその幹部の多くが指名手配を受け、警察による征討が行われたが、戦時中から永続的なある程度の兵力を抱えていたために活動は長い間続いた。

日本文化の輸入

隊員の多くは1890年代の日本ブームの中で育っており、帝国戦争中から防衛隊内で徐々に和風なものが人気になっていたが、帝国政府の手を離れると日本の伝統技術への関心が急激に高まった。それは日本刀から始まり、漆器や和紙などの実用性の高いものが導入されたが、しだいに実用性と無関係の文化も導入が行われた。クロヤ家の敷地に少しずつ日本式の建築物が作られていき、和風の城塞が形作られた。
またその中でも特殊なものが日本語の使用である。防衛隊はひらがなや漢字からなる簡単な暗号を使用してやり取りをしており、また隊員の多くは政府から身を隠すために本来の名前を捨て、かつての名前と音や意味が近い日本語の漢字を代わりの名前として名乗った。
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