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平和党は、ヴンダーシアの政党。
20世紀にデウス・アッタ王国で活躍した政党で、秩序を重んじ王権を擁護する保守派政党。

歴史

王政時代

20世紀中頃にザムツェルトが退陣すると、これを転換点と捉えたトパズィアは新たな方針として「秩序民主主義」を掲げた。平和党は結党当初からの方針に近かったそのイデオロギーを強く支持してトパズィアに接近し、彼女のもとで長期間にわたって宰相などを輩出した。
スイショウのもとでは野党となり、政権に関わることはなかったが、王政革命の後に再び世論の保守的傾向が強まると与党となった。スイショウ即位以降、王政に対して懐疑的な考えが台頭したが、自由主義をはなから否定していた平和党はそれに反発して王権擁護を唱えた。ローディフ治世にはアルサイレスが宰相となり再び政権を握ったが、フェルテが即位すると彼と繋がりの深い保守党が与党になり平和党は野党に戻った。ゼルークの独裁が本格的に問題視されるようになると独裁の原因を王政に求める動きが高まったが、平和党はこれも現行の内閣制度と王家の意向を無視した党派対立が原因と主張して王権を擁護し続けた。

王政廃止後

共和革命が起こると王政廃止をめぐって自由党を非難したが、一方で自由党のゼルークを退けて王家を存続させた判断は評価した。ヴンダーシア共和国の挙国一致内閣ではライネスの要請を受けて党首ライティフ・ザムツェルトが外務卿に、幹部のもう一人が林野卿に就任した。
正式に共和制が承認されてヴンダーシア共和国連邦が成立すると挙国一致内閣は解散し、平和党は他の党とともに政権から退いた。それからは再び自由党ら自由主義勢力を批判する立場にまわった。また、フェルテら元王族たちと頻繁に交流して接近を図った。
政府から元王族に支給されていた「敬意金」が廃止されると、平和党は非難声明を発するとともに、彼らの生活費を一部肩代わりすることを決定した。それは長期間にわたって継続的に支払われたが、しだいに党の人気が落ちてくると2005年からは減額に迫られ、数回減額を発表している。減額後の具体的な金額は明かされておらず、現在はもう払われていないのではないかという声も上がっている。

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