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保守党はヴンダーシアの政党のひとつ。

歴史

保守党はフェルテ治世において独裁体制を敷いたが、共和革命で打倒される。退陣後は一時議会にも出席せず、内部改革を進めた。

ローディフ治世

ローディフ治世後半である1980年代のアッタ王国政界において右派と左派の間を取り持つ存在として信頼され力を持っていた。
ローディフの後継者を巡る議論において左派は幼いフェルテを、右派は別の候補を推していたが、保守党はフェルテの家柄がいいことを理由に平和党ら右派に対してフェルテの立太子を認めるよう迫ると、王室がこれを評価し、フェルテは王太子として認められた。
しかしこれは王室からの信頼を得た上で幼いフェルテに接近し彼を傀儡とする計画があっての行動であり、これが後の独裁に繋がる。

フェルテ即位

保守党幹部は即位する前からフェルテに繰り返し面会し、フェルテは彼らに少しずつ好感を持つようになった。1984年にローディフが死去すると王太子のフェルテが予定通り即位した。党首ゼルークは即位直前の面会で次の宰相に任命する約束を取り付け、即位したフェルテによって宰相に任命された。

ゼネストを巡る混乱

民衆では緊急勅令で追加予算を強行したことに対する不満が溜まっており、予算納入予定の5月になるとゼネストが発生してしまう。内閣はこれに対し軍の出動を試みたが、軍部は内閣への不信感から出動を拒否し動かなかった。
すると党内でもゼルークに反発する勢力が拡大した。特に時の大蔵卿レセールは彼らから信頼を受けて"反ゼルーク派"を率い、追加予算への反発から政府資金納入を独断で停止した。

セキオウ行進

ゼネストで保守党との対立が決定的になった軍部は、自由党と結託して6月にセキオウ行進を行う。デモ行進は一部の民衆を巻き込み、臨時ニュースでも放映されたため保守党はいよいよ焦る。ゼルークは議会での仕事があったがレセールらは王宮にいて、セキオウ行進の様子を部下に見に行かせることができた。
自由党幹部が王宮に来て王室との交渉を要求すると、王宮は一時混乱したが、レセールは自由党ゼルークを退陣へ導くだろうと考えて交渉に賛成した。ホールでフェルテ含む王族とライネス自由党幹部が、レセールを仲介役として会談を行い、最終的にはフェルテライネスが二人で議論することになった。夕方には仕事を終えたゼルークが王宮に駆け込むが、レセールは彼を引き止め、フェルテに会わせなかった。

ゼルーク追放

フェルテの共和制宣言でデウス・アッタ王国の王政廃止が決まると、党幹部のレセールは公でゼルーク批判を始め、「民主的な保守党の構築」を宣言する。党員の多くがそれに応じ、ついにゼルークは党から除名されて政界から去った。レセールは新たな党首となり、保守党の内部改革を推し進める。
またヴンダーシア共和国が建てられると共和国議会の議員選挙が行われたが、レセールは「我らには反省の時間が必要」として保守党は一切出馬しないとした。党は共和国が存在した約1年間の間は政治に参加せず内部改革を進め、ヴンダーシア共和国連邦が生まれると連邦議会の第一議会から政治に加わった。
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