ドラッヒェン帝国時代に北方の
オリツォ人が侵入して先住民とともに都市を築き、やがて、大山脈の南へ向けて
ディート地方を経由する海路、
砂漠ステリー地方の北部から大山脈を迂回する陸路の2つの交易路が拓かれた。
ドラッヒェン時代末期ごろに、オリツォ人の祖先でこの地の地方官僚職を世襲していた「
デウス家」が領地を譲り受け、知的で有能な領主として周りから評価された。その後デウス家は、ドラッヒェン朝が滅亡した後の混乱期には領土を拡大し、周辺領主の承認のもとに「
キセキ王」を名乗った。王都は、デウス家の拠点として街が築かれていた中央部(現在の
キセキ市)に定められた。
17世紀初頭にはデウス家の継承問題などから
戦乱期が始まり、きっかけとなったこの地でも激しい内戦が繰り広げられた。