1660年代頃に
デウス・アッタ王国を建国するとともにその財政を握った
クロヤ家は、それまで使われていたキセキ産の硬貨の信用がなくなっていることを問題視し、独自の硬貨の製造に取り掛かった。ヴンダーシアを統一して
セキオウ朝を築くと、ステイルを全国に流通させることを考えた。
それまでは地域によって貨幣の種類が違った上、
戦乱期を通して貨幣の信頼が薄くなっていたため、地域を越えた商業が難しくなっていたが、ステイルのおかげでそれが解消されてヴンダーシアの経済が回復した。また、ステイルの造幣をクロヤ家が独占することで自ら中央銀行の役割を担い、物価をコントロールするとともに莫大な富を築いた。
19世紀初期に起こったクロヤ内戦で
デウス・アッタ王国側が兵役の代課として発行した手形が、その後金本位制が確立されるとステイルと合流し兌換紙幣となった。内戦で
クロヤ家が倒れると、
デウス・アッタ王国がステイルの発行を引き継いだ。