デウス・アッタ王
スイショウが
リーツェルを連邦宰相として結成させた自由主義内閣は、連邦内の君主の権限を抑制する法案を複数提示して君主国を怒らせる。スイショウは他の君主らから
リーツェル内閣の解体を求められるが、
民主党による民主主義の躍進を目指していたスイショウはこれを拒否、むしろその法案を勅許してしまう。
それが引き金となり自由主義派と保守派の対立が激化し、カラカラ公室に抗議した自由主義政党の一人が暗殺されるという事件が発生する。君主による政治介入を最小限に抑えようとしていた
スイショウは決定的な対策を打てず、その後の総選挙では過激派による選挙妨害が複数箇所で行われる。