20世紀中頃に
ザムツェルトが退陣すると、これを転換点と捉えた
トパズィアは新たな方針として「秩序民主主義」を掲げた。平和党は結党当初からの方針に近かったそのイデオロギーを強く支持してトパズィアに接近し、彼女のもとで長期間にわたって宰相などを輩出した。
スイショウのもとでは野党となり、政権に関わることはなかったが、
王政革命の後に再び世論の保守的傾向が強まると与党となった。スイショウ即位以降、王政に対して懐疑的な考えが台頭したが、自由主義をはなから否定していた平和党はそれに反発して王権擁護を唱えた。
ローディフ治世には
アルサイレスが宰相となり再び政権を握ったが、
フェルテが即位すると彼と繋がりの深い
保守党が与党になり平和党は野党に戻った。
ゼルークの独裁が本格的に問題視されるようになると独裁の原因を王政に求める動きが高まったが、平和党はこれも現行の内閣制度と王家の意向を無視した党派対立が原因と主張して王権を擁護し続けた。