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キセキ体制とは、王政革命後のキセキ会談で採択された新たな秩序、及びそれが維持されていたキセキ会談からガルセシア戦争までの時代を指す。

秩序概念としてのキセキ体制

採択された内容

キセキ会談では、以下の項目が採択され、デウス・アッタ王国ガルス王国の2カ国によって宣言された。
  • シンコウの王国(デウス・アッタ王国)とガルセシアの王国(ガルス王国)は、互いの国に1つずつのみ君主が存在し君臨することを認める。
  • 両国は立憲君主制を敷き、1人の者が大きすぎる権力を持って多数を苦しめぬようにする。
  • 両国はいかなる民族に対しても過剰な攻撃は控える。
3条の民族迫害の禁止は、ベーレン人内の民族を指しており、両国によって併合された多くの民族に対して安全を約束することが表向きの目的であったが、ガルス民族を中心とするガルス王国をなだめるためでもあった。

時代としてのキセキ体制

デウス・アッタ王国ガルス王国という2つの大国が拮抗することによって冷戦の形で秩序の構築・維持が図られた。実際にそれは秩序として機能したものの、ガルセシア戦争の勃発によって約17年間しか保たれなかった。
また、両国は競争しあって技術や統治体制の進歩を目指し、欧米に比べて遅れていた民主的政治体制の整備が試みられた。デウス・アッタ王国アルサイレスのもとで議会制度を整え、ガルス王国は社会主義的な制度を多く取り入れたが、両者とも10年余りで行き詰まりを迎えてしまう。
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