クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

ドラッヒェン帝国(どらっひぇんていこく、:Grosvamtum Drahhen)は、古代ヴンダーシアとその他地域を支配した帝国。ドラッヒェン帝国という名称は、ドラッヒェン家が皇帝を名乗って君臨していたために後世に生まれたものである。ドラーヒン帝国、ドラヒン帝国という表記もある。

国家

支配地域

ヴンダーシア地方全土に加え、アゾレス諸島、マデイラ諸島、カナリア諸島、イベリア半島西部(ルシタニア)、ベリアの中部から南部(ソウルズィアス)を支配していたといわれる。

帝都

帝都及び中心地域の位置については議論があり、かつてはルクヴァーレン地方が中心地域でありその中に帝都があったとするのが一般的だったが、地下地域が発見されるとそこが中心地域であったとする説が提唱され、そちらが優勢になった。しかし地下地域は未だ調査中で謎が多く、まだ帝都の跡と思われる遺跡も見つかっていない。

技術力

高度な文明を築いていたと言われているが、ヴンダーシアにおいてはその多くは壁画などに残るのみで技術は継承されなかった。
ただ、ルクヴァーレンの遺跡群にドラッヒェン朝時代のものと見られる合金のモニュメントや歯車などが見つかっており、頑丈な合金を作る技術はあったと思われる。魔法で動くと思われる小型の列車のようなものも発見されている。地下地域の調査報告でも同様のものが発見されている。
魔法石を使った魔法の技術もこの時代の帝都で開発されており、魔法石の一大産地であったキセキ地方などに伝わったが、一部は失われた他、半分以上の地域には伝わらなかった。

歴史

紀元前3世紀にドラッヒェン家ルクヴァーレン王を名乗って成立したルクヴァーレン王国がその前身となっている。ドラッヒェン家はターレン地域を掌握してルクヴァーレン王を名乗った後、さらにヴンダーシアの大部分を征服して皇帝(グロスヴァム)を名乗った。領土が巨大化してくると、それを州に分割して総督を置くようになった。

領土拡大

ヴンダーシアを統一した後は南下してマデイラ諸島、カナリア諸島を支配下に置き、紀元前2世紀前半にはベリア南部を開拓して属領としてソウルズィアスを建てた。
紀元前155年からイベリア半島西部のルシタニア人がローマに対し抵抗しており、ドラッヒェン朝はそれを支援した後、ローマと講和、ルシタニア地域はドラッヒェンの支配下に入った(ドラッヒェン領ルシタニア)。

文化の繁栄

帝国はヴンダーシアを統一すると安定期に入り、国民生活は急速に豊かになった。それにともなって諸学問が活発化し、ヒレスティアが魔法の原動力が宝石であることを発見したことがきっかけとなり魔法学、魔法産業が始まった。

衰退

5世紀には地方軍事勢力の強大化が顕著になり、中央の支配力が緩んだことにより政府の財政難や地方での紛争が起こり国内が混乱した。一方有力な貿易相手であった西ローマ帝国も混乱状態にあり、貿易はしだいに縮小した。イベリア半島のルシタニアは西ゴート王国の攻撃を受けて滅亡し、ソウルズィアスは塩害により人々の生活が難しくなったため崩壊したといわれる*1
5世紀末には北方民族の反乱をきっかけに地方勢力が相次いで反乱を起こして独立し、地下地域を除く全ての領土を失った。さらに反乱の中で地下地域と地上とを繋ぐトンネルが全て崩落し、ドラッヒェン家は帝都とともに行方が分からなくなった。これをもって帝国が滅亡したとされている。

古代ローマとの関係

古代ローマとは時期が大きく重なっており、貿易などの交流が盛んであった。イベリア半島とベリアで支配地域が接していたが、決定的な領土問題は発生しなかった。

滅亡後の影響

ドラッヒェン帝国はシンコウ島からベリアまでという広大な地域を結びつけていたが、帝国の衰退と滅亡によって結びつきが薄れ、各地域がそれぞれの道を歩み始める。ベリアはベルベル人の自立とイスラーム化によってイスラーム世界に取り込まれ、ポルカサも一時的にゲルマン人の支配を受けたもののやがてイスラーム世界に入った。ヴンダーシア地方はヴンダーシア独自の文化を維持しつつも全体の繋がりは崩れ、特にシンコウ島は経済的に衰退して周辺から著しく孤立した。各勢力が独立して統治を行う封建制が確立されてくるとますます閉鎖的な社会になっていった。
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