1600年頃にはディート侯とシンコウ侯を兼ねる大豪族になっていた。17世紀に入ると西洋人漂流民の保護や、彼らを介した西洋との貿易を行った。
戦乱期になると西洋人との結びつきを優先して排外的な
カラカラ家らに対抗し、融和派を組織した。1634年には政権を奪還してストーレス家のルーゲストを王に即位させた。しかししだいに仲間であり
シンコウ島で力を増していた
クロヤ家と対立するようになり、港の利権を巡って完全に隔絶した。
戦乱期末期にはクロヤ家に降伏し、領地は
マリーン市周辺のみに縮小した。
セキオウ朝の時期には財源となっていた専売貿易に制限がかけられるなど、他の豪族と同様にクロヤ家からの抑圧に苦しんだ。
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