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ブラール・リーツェル(Bral Licel)は、20世紀ヴンダーシアの政治家。
民主党の元代表で、スイショウ治世のデウス・アッタ王国ヴンダーシア連邦で宰相などを務め、「自由派内閣」を率いた。
ブラール・リーツェル
ヴンダーシア連邦連邦宰相
アルサイレス
在任1967年~1974年
君主スイショウ

自由派内閣

1967年にスイショウの命で結成された自由派内閣は、リーツェルの要求により全員が民主党員で構成されたヴンダーシア史上初の政党内閣となった。
内閣は国内の民主化のため、君主の政治権限の弱化を目指した。まず君主による司法介入をやめさせる「司法制度改革要求」をガルセシアドレイク公国フルール公国に対して出すと、一部の保守派は反発したものの、3カ国とも全条項を承認した。リーツェルらはその後も反君主主義的な特徴をもつ法案を立て続けに提出し、保守派との対立を深めていく。
第四次中東戦争に伴って石油価格が高騰すると、1974年はじめにガルセシアは石油供給の急落を見越して魔法資源の大幅な販売規制を行ったが、リーツェルらはこれを強く非難し、さらなる君主権制限を要求しようと考えた。議会が君主に一部抵抗できるようにする法案を要求すると、いよいよ保守派の反発が高まり、ガルセシアは法案を拒否した。リーツェルはその法案拒否も連邦議会で批判すると、ガルセシア側は国王スイショウに向けてリーツェル内閣の解体を要求、ドレイク公国もこれに賛同した。スイショウは当然これを無視し、さらにリーツェルの法案の再審議を求めた。
自由主義と保守派との対立が激化したまま、ヴンダーシアは総選挙を迎えた。するといくつかの地域で選挙妨害が行われ、デウス・グロース王国での暴動から王政革命が勃発した。内戦が各地へ広がる中でアッタ王国でも軍部と王党派によるクーデターが起こり、スイショウは王都を捨てて逃げた。リーツェルは宮殿に立てこもったものの捕らえられ、王党派による政権発足を許してしまった。

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