クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

マグリビヤ王国(まぐりびやおうこく、:Geniftum Magribia、英:Kingdom Magribia、アラビア語:المملكة المغربية,Al-Mamlaka l-Magribiya)は、北アフリカのベリア地域に位置する立憲君主制の王国である。長らくフランスとスペインによる保護下に置かれていたが、1956年に独立した。

ヴンダーシアとの関係

近世・近代

近世以来、ヴンダーシアはこの地域を地政学上非常に重要視してきた。
18世紀にヴンダーシアを統一したクロヤ家は王国と通商を開き、クロヤ内戦の後も通商は続いた。1856年にイギリスと不平等条約を結ぶと列強による介入が強まり、ヴンダーシアの2王国に助けを求めたが2国とも列強との衝突は恐れており、一切の援助を拒否した。それからは関係が途絶えていたが、1910年に新ヴンダーシア帝国によってベリア侵略を受け、中部の広範囲が実効支配された。

現代

第二次帝国戦争の後半においてフランス軍によって解放されるが、それによって全土にフランス軍が駐留することになる。マルメゾン条約で公式に独立が確認されたが、実質的にはフランスの保護国となる。

独立後

一方戦後のヴンダーシアでは、ベリア侵略を反省する風潮が高まっていた。アフリカ独立の機運の中1956年にフランスから独立すると、ヴンダーシア連邦はすぐさまこれを承認した。
1997年にヴンダーシア共和国連邦は経済援助や治安維持協力などを掲げて首脳会談を持ちかけ、カサブランカ協定が結ばれた。ローヒス・ドレイク政権のヴンダーシアではさらなる関係強化が叫ばれ、2011年に協定の内容を拡大するが、それがかえってポリサリオ戦線を刺激し、ポリサリオ側が強引に停戦を破る。12年には軍事衝突がおきてリオ・デ・オロ戦争が勃発した。
マグリビヤ政府はこの戦争によって西サハラ全土を併合しようと考えたが、雲のドレイク大統領が辞職に追い込まれることで領土拡大に対する後ろ盾を失った。戦後処理会議で西サハラ全土の併合を承認するよう求めたが、受け入れられず、北部サギア・エル・ハムラのみを併合した。西サハラ南部にはヴンダーシアの傀儡国家リオ・デ・オロ共和国が生まれた。
近年では財政がますます悪化し、農業資源不足と重なってヴンダーシアへの依存を強めている。

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