クライネットの架空地域「ヴンダーシア」の情報を詰め込む部屋

レイフ家(Gen Leif)は、ヴンダーシアの氏族(gen)。中世後期にオリツォエン地方のレイフ伯を世襲しており、16世紀末から17世紀初頭にかけてデウス家と姻戚関係をもち名を馳せた。

歴史

ソーリス即位問題

16世紀末、キセキ王ヴァルティス(当時王太子)の弟のカイテに娘のへーレクを嫁がせ、いつかその子供をキセキ王にしようと考えた。カイテに男児ソーリスが生まれヴァルティスの二人の子供がどちらも幼くして死ぬと、関係の良い諸侯に根回しをしてまだたった13歳のソーリスを王太子にする準備を進めた。ヴァルティスが重病にかかるとその弟カイテが血縁的に最有力と考えられたが、カイテが盲目であることから仲間の諸侯とともにソーリスを推し、即位させた。しかしソーリスが幼すぎ、さらに(王族に嫁いだとはいえ)中流身分のへーレクがその摂政になったことから一部の諸侯からの反発も大きかった。
西洋人移民の影響力が拡大して問題視される中でレイフ家らは西洋人を擁護して貿易を推進しており、それが保守派からの反発にも繋がっていた。

カラカラ家との対立

ソーリス即位への反発は大きくなりルクヴァーレン王国のターレン諸侯にまで波及し、彼らは数回に渡りレイフ家へ抗議文を送った。レイフ家はルクヴァーレン王ロイミヒに対して彼らを制止することを求めたが、ロイミヒも同じようにターレン諸侯の影響力に悩まされており、彼らをむやみに刺激したくなかったためレイフ家に協力する姿勢は見せなかった。ターレン諸侯の動きを無視し続けるレイフ家にしびれを切らした彼らの盟主であるカラカラ家は軍を集めてデウス家領の国境付近に進軍させてレイフ家を脅した。レイフ家も軍を送って形だけ対抗したものの、直接戦争をする意図はなく、両軍しばらく対峙した後退いた。この事件はキセキでも大きな騒動になり、レイフ家はロイミヒに対して彼らの処罰を求めたが、ロイミヒの意思は変わっておらず、彼はお茶を濁すのみで目立った行動に出なかった。

フロケール政変

その後はしばらく表立った対立はなかったが、ルクヴァーレンの内戦が長引くとキセキ国内でもカラカラ家を擁護し、レイフ家に対して懐疑的な意見が強まり、貴族内で反発が見られるようになった。それに反応したヘーレクは重臣のひとりの死を暗殺だとして反対派への弾圧をはじめ、激しい対立が起こった。
14年にはついにヴァーレン家を筆頭にした反対派がフロケール政変を起こし、内戦状態に陥った。都のすぐ近くでの内戦は半世紀近くないことであった。この政変はレイフ家側が大きな打撃を受けつつもなんとか収束したが、カラカラ家がルクヴァーレン王になった後の18年にカラカラ家がレイフ家を攻撃してキセキに入城、レイフ家とソーリスは捕らえられてしまった。ソーリスはそのまま幽閉され、ヘーレクは処刑され、レイフ家は壊滅した。その後キセキの諸貴族らとカラカラ家の間で話し合いが行われた末にソーリスは退位となり山奥の修道院へ送られることが決定し、王位はデウス家の分家の一つであるセルヴェスト家?ライケルに渡った。

攘夷派政権

政変での敗北後、レイフ家は政権を握った攘夷派から冷遇され、20年には王となったライケルの権限でレイフ伯を剥奪される。形式上は没落したが、王族としての権限を維持したカイテに保護されてその後も非公式にもとの領地を支配し続けた。

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